小原流について
         
  小原流は、明治時代の中ごろ、初代家元・小原雲心が始めました。
小原雲心が登場するまで、いけばなといえばほとんどが壺や花瓶に花を縦長にいける「立てる」形式のものでした。この古くからのかたちでは、いけられる花に制限が多く、しかも細やかなきまりが多いため、花を自由にいけて、楽しむことはなかなかできませんでした。
とくに、明治時代になって、西洋の花々がどんどん輸入され、その園芸が国内で行なわれるようになり、しかも人々の暮らし方も変わってきますと、今までのいけばなは、実情にあわないもになってきました。
こうしたとき、小原雲心は、新しい西洋の草花を自由にいけることができ、飾る場所も、日本建築の床の間だけでなく、当時の新建築の洋間や応接間、玄関に飾ってフィットし、さらに、いける人の創造力が十分に発揮できる、新しいいけばな形式を発明しました。これが、「盛花」と呼ばれるいけばなです。
この盛花はその後、各いけばな流派にも取り入れられ、今では、いけばなの世界全体の代表的な形式となっています。つまり雲心の始めた「盛花」といういけばな形式は、近代いけばなのさきがけとなったのです。
古いいけばなが「立てる」形式であったのに対して、雲心が始めた盛花は、平たい皿型の花をいける器(花器)に花を「盛る」ようにいけるいけばなです。多くは水盤と呼ぶ器です。
 
         
   

:小原流 初等科教本 花意匠の基本より一部抜粋

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